再び響きへ / SEED 05 Growing
再び響きへ — シリーズ全体を見る

沈黙は、音の反対なのか?

沈黙とは音が存在しない状態ではなく、音が響くための余白なのではないか。

音について考えていると、
不思議な場所へ辿り着きます。

それが「沈黙」です。

普通に考えれば、

音がある状態と、
音がない状態。

正反対のように思えます。

けれど音楽には「間」があります。

すべての時間が音で埋め尽くされていたら、
音楽は成立しません。

音と音の間にある静けさがあるから、
次の一音が響きます。

会話も同じです。

相手が話し終わる前に言葉を重ねるのではなく、
少し待つ。

その沈黙の中で、
相手の言葉が自分の中へ入ってくる。

森の中にいても、
完全な無音というものはほとんどありません。

風。

葉。

鳥。

呼吸。

自分の鼓動。

静けさの中へ入るほど、
今まで気づかなかった小さな音が見えてきます。

そう考えると、
沈黙は音の反対ではありません。

むしろ、

「音が響くための空間」

なのかもしれません。

会社にも。

家庭にも。

教育にも。

AIとの対話にも。

答えをすぐ出さない時間があっていい。

何もしない時間があっていい。

未来の自分を暇にするという考え方も、
突き詰めれば、

時間を空白に戻すことなのかもしれません。

SEED

余白があるから、響く。

音だけではなく、
人生にも同じことが言えるのかもしれない。